●祭り---本宮
昨日は一日祭りに借り出されておりました.
俺もたいがい力のないほうだが(親父には鉛筆より重いものをもったことがないとか,キーボードしか叩いたことがないとかいろいろの形容をつけられて証されておるとおりです),今年の担ぎ手には俺なんかがおっさんに入るくらい,若い大学生連中がいたのだが,呆れちゃいました.
ものの数十メートルかついだだけで,「痛い」だの,「もうだめ」だの,何言ってやがる.
俺だって痛いわい(笑).
まして,こりにこった肩を数十キロ分の重みがたかが5センチ四方程度の面積に全部かかるんだから,その痛みたるや.
お前ら日本男児だろうが.
気合いれろや,と(笑).
気付いたら,俺が若手リーダー格になってました.
もちろん,祭り好きな奴らがいるからそれは別として.
特に気持ちのいい奴がいて,俺がちょっとしんどくなって,声が出なくなっていたら,「気合いれましょーよー」と俺の方を振り向いて言ってくれる,そんな名も知らぬ若人が.
俺もそうなりゃ,頑張らにゃ,と,お神酒を大概飲んで,ふらつきつつも,せーのっ!と声をかけてやると,へなってた若いのがここぞと頑張ってくれる.やっぱり,そういうのって嬉しいし,なにより,俺もやる気が出るから楽しいねえ.
そんなこんなで,本日複雑骨折並に全身筋肉痛ですが,やはり参加した甲斐がありました.
それは,俺が若手を引っ張る年齢なのだから,頑張ったという清清しさと,代々氏子を務める家の長男として,親父が仕事でいないながらも,なんとか卒なく終わらせることができたことのやりがいと.もちろん,後者については,やはり,親父がいなければ,いくら俺が頑張ったってしまらないから,それはしようがなかったのだけれど.やれるだけ頑張りました.村の人にもずいぶん可愛がってもらい(特に,女性陣に(苦笑).誰が言ったか忘れたが,俺はマダムキラーだそうです(笑)),これから,でしゃばらず,引っ込みすぎず,この小さな祭りを支えていける人間でありたいです.つまらないことかもしれない.金にもならないかもしれない.しかし,うちはこうした活動を通してずっと続いてきたのだから.
絶やすのは簡単.いつでもできる.時世に迎合して,簡素化だとか,なんだとかすることだって簡単.
今の形をできる限りそのままで残す努力をやれるだけやってだめなら,そのときはそのときの事情に合わせてやっていけばいい.
しかし,今回の若い連中を見ていたら(若い連中も俺と同じく村の代々続く家の息子どもである),大丈夫,やっていけるの気持ちを持てた.
俺もやれるだけやってやろうと思う.
それが仮に日本全体,世界全体で見たら,どうでもよいことであっても.
俺にとっては,それが始まりであり,それが同時に終りだから.
●源氏鶏太
前にも英国時代,何度か源氏鶏太には言及した.
今日は,休みをもらって一日休日だったのだが,所用で梅田へ出てその帰りにそのまま帰るのもなんだったから,Loftへ寄って,カフスを分けて収納できる箱を買ってきて,古本屋街をふらりふらりと物色.
もう,ほんとに,幸せ(笑).
これだけゆっくり古本屋をはしごしたのどれくらいぶりだろう.
ああ,こいつはあれを書いてるやつだから,どうだとか,数時間かけていろいろと見て回りました.
ほんと,幸せ(笑).
ま,結局買って帰ってきたのは,海軍関連2冊,古典関連5冊,源氏鶏太4冊,以上.
ああ,素敵(笑).
特に源氏鶏太の本を見つけられたのは,嬉しかった.
サラリーマンものなのだが,上がどうだとか,同僚がどうだとか,という現実の競争社会のことではなく,ほのぼのした,働く人間の実像が描かれている点で,特にサラリーマンとしてもうすぐ半年働いたことになるが,そんな中で心の糧として読みたかった著作であったから.
まあ,俺が普段心の糧として読む本は基本的に大東亜戦争はじめ,日本が明治以降経験してきた戦争で活躍した有名無名とわず,戦士達の物語である.これはこれで本当に読むと気合が入る.靖国神社で発行している「英霊の言乃葉」も現段階まで全巻そろえ,休みの日などに読んでは,俺の恨み言など,命をかけていない点においてまず劣っていると,気を引き締めなおす次第である.
まあ,それは措こう.
源氏鶏太である(源氏鶏太については,過去のブログ「此処は御国を離れて三千里」2006年7月18日及び8月23日を参照のこと).
今日,早速帰ってきたから,晩飯をはさんだ数時間で一冊短編を読み終えたのだが,思うこと数点.ひとつは,やはり,気持ちのいい小説だな,と.文学文学しておらず,気安く読め,気持ちよく読了できる.これは,ほんと,娯楽としてほんとうによい小説だと思う.
もう1つ.それは最近の俺の行動を振り返っても思うのだが,俺の行動規範というのは,源氏鶏太の影響があったとは言わないが,価値観というか,そういったものを含め,こうした時代の人のそれをそのまま実践しているごとくに思われる,ということである.
前者についてはもう過去に語ったとおりだから,それとして,後者についてである.俺は飲み屋のおねえさんがたに,源氏氏の書く如くもてるわけでもないし,似るところなどないのだが,行動規範における選択や振る舞いがそっくりであることに思い至った.具体的にどこが,などというと列挙するのが困難であるが,雰囲気というか,そういうのを含め自分に良く似ているなあ,と思うことしばし.それが勘違いであろうがなかろうが,どうでもよい.ともかくそう感じた.それゆえに,源氏氏の小説に,古い小説に,いまだ俺のごときが感ずるところあるのだろう.
閑話休題...というか,関連するけれど,小説の感想とは別なので.
会社へ入っていくらかたつけど,うちの会社とかそういう特定の会社じゃなく,経済界全体のことにもなるといえば,大きすぎるか.ま,いずれにせよ,日本人が勤勉なのはわかる.しかし,井上成美大将の言った言葉じゃないが,「きつねのごとく目をつりあげ」て仕事してる連中多すぎじゃねえかなあ,と.
斯く言えば,「これは仕事だ.遊びじゃないんだ」という人もあるだろう.それはそれでよい.
しかし,俺は敢えて非難轟々,社会不適格者の烙印を押されることも覚悟で言う.
仕事が人生そのものってつまらないよね.
あ,俺やっぱり殺される?---ま,ほんとに狐の目をしている人なんかには,一笑に伏され相手にもされぬであろうことはわかって書いていますが(笑).
ま,上の言葉は誤解されることを前提に書いていますから.そのまま誤解した方は,一度鏡見たほうがいいんじゃない,って思いますが...ま,挑発してるわけでもなく.
なんというか,人の和ということもなく,なんか,殺伐としてるよなあ,って.ビジネスで蹴落としあうなんてのは,そんなの当たり前で,そういうビジネスの前提はそれとして,その上で上の一語を敢えて書きました.
俺が思うのは,ビジネスの世界で真剣勝負するというのはわかる.やるときゃやる.討ち死に覚悟でやる.それでいいじゃない.
なんにも,いつもそんな常に戦場にあるがごとしなんて,つまらないじゃない.
ま,俺のこんな言葉なんて,若いアマちゃんの言葉として受け取られるでしょう.そしてその通りでしょう.彼らは云うでしょう.常に戦場にあるようにしていなければ,仕事なんてうまくいかない,と.それもその通りなのかもしれません.それでいいと思います.
しかし,俺はせっかく,授かった一生.
長いか短いかは知らんが,仕事という生きていく糧のために24時間いつも狐の目をして張り合うつもりはない.仕事は仕事.大切なものは大切なもの.
休みの日になって,職場に行っていないからといって,うろたえるような人間でありたくない.
なぜなら,俺は俺なのであり,その俺が最も大切とするものにしっかり時間を割きたいから.
...なーんて格好いいこと書きましたが,今日一日,携帯が気になってしようがなかったです(苦笑).そんな自分に嫌気がさしたから,書いた駄文です.
狐の目をしてる方々には腹立たしい文言もあったかもしれません.しかし,かりに俺が間違っていても,仮に彼らが正しくとも,会社は決して俺の人生に責任を持ってなどくれないと諦念のごときものがあるがゆえに,斯くのごとく書きました.俺はいつでも切らば切れ,の人間だから.アマちゃんと言われようと構いません.ただ,与えられた仕事,責任をもつべき仕事のその責任を放棄するの意味とは違うということだけは了解頂きたい.
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