2007年10月21日日曜日

宵宮

昨晩は祭りのいわば前夜祭.

この写真にあるのは額灯と呼ばれるもので,六カ村各村ごとにひとつずつ所有しているもので,宵宮と本宮の晩にそれを持って神社へと行く.

ちなみに,棒は竹で15mくらいあり,重さは4,50kgある.
それを本来は一人で持ち上げて,本殿の周りを一周せねばならない.

昔の人はやれたのよ.昔の人は.
俺も持て,といわれたけど,謹んでお断り申し上げ,若手数人でふらふら持って回っただけ.

(観衆の何もしらぬ連中が,「そんなに思いもんかねえ」なんて呑気に言ってるのを聴いて,張り倒してやろうかと思った.こっちは,倒して額をぶっ壊したりしたら,大変だ,と必死なのに(苦笑).持ってみりゃ,分かる.持ったことないからわからねえんだよ,くそー)

しかし,たまにはこういう雰囲気もいいねえ.
毎日が無機質な現代社会で,なんというか,ああ,やっぱり俺は農村の家の倅だな,と改めて思い至る.結局,生まれ持った感覚というのは,如何ともしがたく,この郷愁のごとき感情も生まれてこの方,祖父や祖母,曾祖母にいろいろと聞かされ育ったが故だろう.その善悪を問うのは馬鹿げていると思う.それが俺だから.

誰だったか,前に話をしていて,も一度人生をやり直せて,自分の好きな境遇に身をおけるとするならば,一旗あげてやりたいと思う,という考えを聞かされ,しかし,俺はたぶん,何も変わらない,同じ人生を送るだろうなあ,という気がした.

昨今では選べる人生というのが当たり前なのかもしれないが,生まれた時から本質的な選択肢を与えられ得ない立場で育ったせいか,根底には個人レベルでの選択など,お釈迦様の手の平でよちよち歩きするが如し,という感がある.

まあ,それでも,俺はこれまでやりたいことをやらせてきてもらった.それを許容してくれた両親はじめ皆に感謝する.

その俺にできることは,この家に生き,この家に死ぬことだけである.

そして,それが俺の最大にして唯一の人生である.

笑わば笑え.
誰が何を言おうと,それがこの時世にそぐわぬのだとしても,それが俺の人生である.

所詮,人はどのように生きようと,どんな褒章を受けようと,結局誰もが同じ終末を迎えるのである.

---死ぬまで生きる.ただ,それだけ.

本人がそれでよいと思うなら,それでよいと思う.
時世だとか,なんだとか,俺には関係がないというだけで,それが大事ならばそれをとればいいと思う.
どちらが正しいとかを論ずるのは滑稽ごとである.

俺は,やはり,百姓の倅として生き,祖父や祖母,曾祖母らが命がけで守ってきたこの土地に死す,それが俺に最も相応しいと思う.


...と,なんだか,本題とずれまくりましたが,やっぱり,祭りは大変でシンドいけど,楽しいもんです.

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